2022年5月31日火曜日

ハワイ島 旅行記!!

H様のハワイ島旅行記





ハワイ島旅行記 

 

Mark Twainは、サクラメント・ユニオン新聞社の記者時代に4か月程ハワイ諸島に滞在し大変気に入った様で、ハワイ諸島を洋上に浮かぶ艦隊に例え “The Loverliest Fleet of Islands that lies anchored in any ocean.”(数々の大洋錨泊している中で最も美しい島の艦隊)と称賛している。 小生初めてハワイを訪れたのは1986年3月米国駐在から帰最後の休暇を家族とホノルル3日程過ごした時だ。 

それ以来、既に10回以上訪れているのであるが、ハワイ島には今回で4回目の訪問となった。 ハワイ諸島統一を成し遂げたKamehameha大王の出身地、欧米人として初めて上陸足跡を残しハワイ島で非業の死を迎えたイギリス海洋探検家Captain James Cook海抜4000mを超えるマウナ・ロア等の活火山、世界コーヒー産地であるコナ、日本人入植者が多く街並みにも古き日本文化の面影が残るヒロの街と興味が尽きない年程前から是非訪したいと願っていたが、2020年初頭から世界的に深刻化したコロナ禍の影響で延び延びとなっていたが、最近の収束傾向で海外旅行も若干緩和されたお陰で久しぶりのハワイ島への旅が実現した。 

 

以前ハワイへは正に”Paradiso”天国へ向かう非日常への気楽なを感じていたが、コロナ禍以降は、ハワイ入国に際し厚労省のワクチン接種証明書の他、米国CDCの要請で日本出発便搭乗前日のPCR検査陰性証明が必要となって、その手配で身近な医療機関を見つける事から始まり、米国入国に際しての宣誓書Attestationへの記入・署名必要なり出発前迄に随分余計な手間が掛かった。 更に帰国に際しては厚労省から現地出発便搭乗72時間前迄のPCR検査陰性証明証が必須、日本人旅行者の多いホノルルであれば中心街に当該検査証明を容易に実施できる場所あるようだが、ハワイ島となると当該検査が可能な現地医療機関で検査証明を得る必要があった。 幸運にも以前ハワイ訪問時にお世話になったAAハワイツアーズさんから当該医療機関を紹介頂き、前もって日本からwebで問診票を先方に送付し無事予約完了し、何とか予定通りに出発可能となった。 

 

コロナ禍の影響でJALのコナ行直行便は休止、羽田からホノルル行便で向かい、ホノルルでコナ行のHawaiian Air便を乗り継ぐことになった。名古屋(セントレア)から以前の様な現地ホノルルへの直行便も休止されておりJALのコネクションフライトでも出発空港である羽田迄繋ぐのは可能であるがセントレアが早朝出発便その上羽田空港で10時間待機する必要となる為、今回は十年振りで新幹線+京急利用で羽田空港へ向かった。 空港でのチックインは未だ国際便も少なく、しかもGW明けで日本からの団体旅行者も見かけずスムーズに完了 搭乗までは3時間以上るので、時間的にも美味しい夕食をユックリ摂りたいとJALチックイン・カウンターの女性スタッフに「どこか空港内で食事を・・」と尋ねても「そうですね、殆どの店が閉まっていますので、」との残念な返事。 それでもと思い上のレストラン階に行ってみると、何と立派な寿司屋、居酒屋、ラーメン店がやっているではないか! 驚きと同時に日本で最後の夕食を楽しめる喜びを味わったのである。 定評のあるJALコロナ禍で長い間サービス面での乗客に対する細かい対応が怠慢で中途半端になっていると感じ残念であった。

  

 

セキュリティーチェック、出国審査を終えターミナル中に入ると以前と比較すると午後8時過ぎとは言えこれから海外に向け出発する旅行客は疎らで殆どの店は閉まっており寂しい限りであった。(写真参照:搭乗口近くの通路  

帰国後、最近になり日本政府から本年6月からは海外から2万人の受け入れを開始するとの趣旨で、ロシア、南アフリカ等の数か国以外の国からは原則日本入国に際して現在行われている唾液による抗体検査で感染の有無の確認が実施(最低3時間待機必要)されているが、それも無くなるようである。 しかし各国の現行の防疫制度は継続される様で日本出国時も含め、帰国時は前もって夫々訪問先でのPCR検査陰性証明証は当面必要となりそうである。 申すまでも無く、その分余分の検査費用が必要となり、以前の様な気軽な海外旅行完全復活は未だ先になりそう 

 

5月7日午前10時頃、慌ただしい出国であったが、久しぶりのハワイの島々が我々を出迎えてくれた。 無事ダニエル・イノウエ・ホノルル国際空港に到着した。 熱帯特有の何とも言えない空気が心地よい。 

未だ海外、特に日本からの旅行者が少ないせいか入国手続スムーズで30分程で国内線ターミナルに移動しコナ行便にチェックイン、いよいよ懐かしいコナである。 今回ハワイ島滞在中はレンタカーを借りるのを見合わせた。 最近は日本人観光客の交通事故が多発しているのか最近ではどのレンタカー社も日本の免許証の他、英字記載のある国際免許証の提示を求めており、出発日直前にそのことが確認出来たものの、その取得に時間的猶予もなく、その上円安の影響か代金も割高感が強く、滞在中2日間はAAハワイツアーズさんの一車貸し切りで島内観光と決めていたので、費用対効果も加案し、断念した。 

その為、早速コナ空港からはタクシー乗り場から地元のドライバーにホテルまで送って貰った。 ハワイ島のタクシーは大都会と違い不当に高い運賃+チップを要求する事も無く、良心的で安心であった。 途中コナ中心街にあるKTA Super Store取りあえず今日から2-3日分の食材+飲料を購入し一路ホテルに向かった。  

ホテルは完全なるリゾートホテルであり、各部屋ともキッチン、ランドリー等が設置され、2階の部屋のベランダからの眺めは壮大で素晴らしい解放感を感じ滞在中毎朝はベランダで壮大な海を眺めながらの爽快な食事を満喫した。 家族連れで長期間ノンビリと滞在するには最適であるがホテル内にレストランは無く、歩いてでも行ける距離にはチョットしたグロッサリーもレストランは無いため、早速タクシーで夕食はコナ中心街に向かった。 

  

流石に中心街はアメリカ人観光客の姿が多くみられ人通りもあったが、以前の盛況は無かった。 

 

海辺のレストランに入りコナ初めての夕食を楽しんだ。 久しぶり冷えたコナビール”Long Board”胃に滲みる 背後から聞こえる波の音と沈み行く夕焼けの風景は何とも言えない心地よさがあり、長旅の疲れも忘れて新鮮なシーフードを楽しんだ。 ところうが、さあー帰ろうと思いウェターにタクシーの手配を頼んだが当日運が悪くどのタクシーも捕まらず、結局ホテルまで暗い夜道を歩いて帰る破目になり、約3.5km全員50分程掛かり、何とかホテルに無事たどり着いた。 そのショックと緊張からか、その夜全員午前1時頃迄はなかなか興奮気味で身体も火照って眠れなかった。 

  

朝はユックリと起床、テラスで朝食も時間を掛けて、午前10時過ぎにホテルから直ぐ近くにあるAlli Garden Market Placeを散策した。 園内にはトレーラーハウス簡単な小屋等で作られたローカル色豊かな店が開店していた。 各店主とのやり取り、値段の掛け合いは面白く後から気づいたが、コナの中心街と比較すると可なり感があった。 中にはチョットした装飾品・小物を売っている店が”Oribe”のブランドネームであったので、本来は日本由来の会社か?」と尋ねると驚いた事に「会社から基本念はそうと聞いている。」との返事で、その名前は今でも日本で特に雑貨・陶器で有名な土岐市の「織部」からと思われると説明してあげると興味深く聞いていた 

 

同じ過ちは、繰り返さない様にと思い、一旦ホテルに戻り、フロントでタクシーを頼み、昼食は以前何回も食事を楽しんだKona Brewing Company Pulに向い、帰路も午後8時にコナ中心街レストラン前に迎えに来てくれる様に同じタクシー運転手に下車と同時に予約しておいた。 

 

海外への個人旅行のメリットは行動の自由と現地で知り合う人々との屈託ないコミュニケーションが時間を気にする事無く楽しめ同時に現地の最新情報や取って置きのスポットの新たな発見に繋がる機会が多い事である。 以前訪れた時、レストランは満席で暫く待たなければならなかったが、屋内のバーカウンターであれば即OKとなり、隣り合わせた出張中のアメリカ人と文字通り”Drink & Chat”を楽しんだ。  今でも屋内にバーカウンターがあり、そこで多くの人々昼から楽しんでいたが、我々は念の為、屋外のパラソル席でランチを楽しんだ。 昨夜も「やはり、美味い!」と思ったが、やはり製造元工場から直に提供される新鮮で冷えた”Long Board”を屋外で飲むのは格別である。 

 

昼食後はお決まりご婦人達のショッピングに付き合い、コナ中心街を散策。 やはり、交通・買物・食事等の便利さを考えると昔からある海辺の老舗ホテルCourtyard King Kamehameha’s Kona Beach Hotel”が気楽で最適と思った。 そこに宿泊すれば毎晩歩いてKona Brewing Company Pulに行く事が可能となり、ホテル代は割高となるがタクシー代、飲食代の経費節約にも繋がる 

 

滞在三日目と四日目は予約しておいたAAハワイツアーズMr. Takashi Yanagishita(日系4世)によ4名で車貸切ツアーでのハワイ島一周を楽しんだ。 彼は軍隊経験もあり精悍な身体つきで、日本レストランでの板前修業の経験もある方で、流暢な日本語、精神的にも我々日本人と何も変わらない御仁で、きめ細かい対応に感動・感謝した。 

5月9日 早朝から先ずハワイ島東岸の町ヒロに向かった、Mr. Yanagishitaは現在ヒロに在住との事で広いハワイ島で正にコナとは反対の地域にある町で、昔から日本人からの入植者が多い地域であり至るに古き日本のノスタルジアを感じさせる名称、建物や街並みが見受けられる。 

1997年ヒロに建てられたハワイ州にある大王像の中で1番新しいKamehameha大王の像が我々を出迎えてくれた。 更にヒロにはKamehameha大王が持ち上げたと言われているThe Pohaku Naha(Naha Stone)右側の石ヒロ図書館の芝の上にモニュメントとして展示してあるが、油断していると見逃してしまう様な場所であった。 

 

伝説によると、この石を持ち上げたは、ハワイ諸島の王となると言われていたが、若き日の彼がそれをやってのけ、その後正にハワイ諸島統一を成し遂げた。 世界どこにも大きな石(岩)に絡む英雄の話があるものだと、勝手にあの英国アーサー王の物語を思い出していた。 

 

その後、有名な火山が作り出した洞穴から流れ出る水で作られた”虹の滝“を見学し、一路ハワイ島一番の観光名所であるHawai’i Volcanoes Naional Parkを訪れた。 何といっても今回の目玉は、最近噴火したばかりのKilauea Caldera中にあ、最寄りの駐車場から徒歩で片道30分程でその生々しい噴煙(夜には炎も見られる)が立ち上るHalema’uma’u Craterが展望できる所迄行く事が出来た 

今にも噴火するのではとも思われる迫力があった。 そもそもハワイ諸島は海底から噴出した海底火山の頂点の一部が海上に突き出した島が寄せ集まった所であり、海底からの高さからすれば9,677mにもなる巨大火山島であり遥かにエベレストを超える規模の火山島でその先端がMauna Loa(4,169m)Mauna Kea(4,205m)なのである。 誕生以来何世紀にもわたる噴火の繰り返しで新たな土地を形成して来たのだ。 そんな太古からの度重なる火山の噴火からPeleの伝説が形成され、彼女が今もHalema’uma’u Craterの火を守り続けていると言われている。  

言い伝えによれば、火山の女神Peleと妹の確執から何度も噴火が起こり、その溶岩が今日までもハワイ島の特に南東海岸から直接海に流れ込んでいるが、それが独特の地形を形成している。 特に海との接点には直接溶岩の通過で出来た洞穴繋がっており、海になだれ込み冷えて固まった後に、その先端が海に砕け崩落し形成された切り立った崖となっている光景圧巻で必見の価値大である。 

イギリスのドーバーは”白い崖“で異様であるが 

ハワイ島は正に”黒い崖“が何処迄も続いている。 

 

現在でも、海に突き出た冷え固まった溶岩が海に崩落する危険がある為、決まった地点迄しか行けない事になっているが、Mr.Yanagishitaの案内で安全な地点まで行きそのそそり立った崖を見る事が出来た。 その上当日は風も強く、冷え固まった溶岩の上で立っているのも大変であった。帰路噴煙が窓から眺められる山小屋風のVolcano Hotelに立ち寄ったがハワイと言え、高度も高く気温も低くとてもTシャツ一枚では寒く、 

急遽長袖のトレーナーを購入した。 

 

5月10日は同じくAAハワイツアーズ Mr.Yanagishitaの車で昨日とは島の反対側である我々が滞在しているKailua-Konaからコナのコーヒー園→コナ中心街→プナビーチ→プーコホラ国立公園→パーカー牧場を巡る旅である。 昨日はホテル到着が午後9時近くになりそれから2時間近く掛けヒロの自宅迄帰ったMr.Yanagishita再び午前9時にホテルまで元気に迎えに来て頂いた。 天気は快晴絶好の旅行日和である。 先ずは、コナのコーヒー園に向かった。 コナの丘陵地はコーヒー栽培には最適な土地で多くのコーヒー園があり、その世界的評価も高く世界名産地の一つにもなっている。 

 

早速訪問したのは、日本のコーヒー・メイカーUCC直営コーヒー園である。 長く当地に家族と在住している支配人が「本当に日本人の方の訪問は久しぶりで、日本語が話したくて仕方がなかったのです。」と大歓迎して頂いた。 コロナ禍の影響で海外からのコーヒー豆の収穫担当の人たちが集まらず苦労しているとの事。 ここのUCCコーヒーは一切海外(日本も含む)には輸出されていないとの事で、お土産に購入した。 個人的にも大いに助かったのは此処の男子洗面所には何と日本製のシャワートイレが完備しており、久しぶりに大いにリラックス&スッキリた。 

 

園内を案内して頂いた。季節柄白いコーヒーの花が咲いていた。早くコロナ禍も収まり、再び多くの観光客が来園するのを待望している様だ 一斉に満開ともなると正にコーヒー園は“ハワイの雪化粧になるに違いない 

 

 

の前可愛いワンちゃんと遭遇した 人懐っこく愛らしいワンちゃんで家内を歓迎してくれた。  

お出かけは何時もご主人バイクのサイドカーに乗せられている様だ。 ご主人様はサーフィンやアクアラングの指導をして見える日本人の方で7年程前にハワイに移住されたとの事。 「80歳の方にもサーフィンを指導した経験があります。」と自慢してみえた 可なりの腕前の様だ。 

コナ中心街を通り、ハワイ随一のHapuna Beachで一服後、1790-91に掛けてKamehameha大王が神殿として少なくとも20miles(約32Km)離れたPololu渓谷から水で削られた溶岩を人民と共に“人間の鎖”の様にして一つづつ手から手で運完成させたものと言われているPu’ukohola Heiau遺跡を訪れた。 

博物館にはその溶岩のサンプルが置いてあり誰でも持ち上げる様にしてあり、自分でも持ち上げてみたが、重く例え直ぐ隣の人にパスするだけとしても大変な移動作業であったと想像出来た。 

毎年8月にはハワイ人とポリネシア人の人々により当時を再現し当時の服装・衣装を着て文化行事が開催されている。 

同じようの石の神殿遺跡はオアフ島でも訪れた事があるが 

古代からエジプト、インカ帝国を初め多くの地域で全て人の手で構築されており、人類同じ発想である事再認識した。 

入り口にあるVisitor Centerに入るとNational Park Service 

方から「何か質問ありますか?」との親切なお尋ねがあったので、「実は最近孫とハワイの歴史について勉強していますが、何か良き参考書はありませんか?」と聞いてみると親切に一冊の本を紹介された。 正にハワイの誕生から今日まで絵・写真入りの立派な本であり、良きお土産になると購入した。 

 

なんと210頁の本で、内容タップリである。 今回ハワイ再訪に際しては孫との約束で、何か良き参考書がないかと気にはしていたが、此処で最適な本が見つかり本当に幸運であった。 ハワイに再訪時には更にハワイに関してより多くの興味が増すものと期待したい。              

 

その後、Parker Ranchを訪問し、名物の“マラサダ”も食し、ホテルへの帰路今夜はユックリと部屋で晩餐を時間を掛けて楽しもうとWaikoloaのSuperでハワイ風の日本食と飲料を買った。 Waikoloaに来てみると主としてアメリカ本土からの沢山の客がお土産等を購入していて結構賑わっていたが、相変わらず日本人らしい旅行客は殆ど見かけられず、やはりコロナ禍の影響は未だ続いていると感じた。   

帰路、美しいハワイのサンセットに遭遇。 

 

 

長い滞在と思っていたが、過ぎてみるとアッと言うまである。 5月11日はハワイ島滞在最後の日となり、今朝は午前9時にアポ済みのKailua-Konaにある地元の医療機関Urgent Care Hawaii Kona 

での帰国に向けてのPCR検査の日である。 午前8時半にはタクシーが迎えに来てくれ、予定時刻少し前に医療機関に到着した。 も海外の医療機関で治療や検査の経験は無いので、些か緊張気味であったが、着いてみると日本の様に正面玄関が開いて人々が出入りする様子もなく、静まり却っていたが、暫くすると一つの窓が突然開けられ、フェースガードとマスクをした若い女性(Dr.と思しき)「PCRの検査?」と声をかけてくれた。 名前を言うといきなりIDが無いかとの尋ねられ「我々日本人は唯一Passportしか、IDとしては持っていない。」と答えると少し困った様子、何故かと思うと丁度IDカードを入れると即データを記録できる端末があり、そこには我々のPassportは入らないのである。 そこで機転を利かし出発前にHertzレンタカーの日本の運転免許証自動翻訳機で打ち出した私の免許証資料A4サイズがあったので、それを提示すると適当な大きさに折り畳みその端末に差し込みOKとなった。  

窓を開けたまま、その隙間から一人づづ鼻咽頭拭い液の採取を行った。「一時間後に此処に来てください。」と、中では待てないのだ。 そう言われても当該医療機関の周囲は閑静な住宅街であり、日本の様喫茶店も無く、レストランは夕刻からオープンする為、さてどこで時間を潰そうかと歩いていると、同伴者の一人が「あそこの店がOpenの表示があるのでどんな店か分からないが・・」と見つけてくれたので、行ってみると正に日本のコンビニの様な店があった。 気さくな感じの女性店主が一人でやっていたので、全員お邪魔した。 一見日系の方かと尋ねてみると韓国出身の女性で「国には母が生活しているが、最近はコロナの影響で帰国出来ていない。」との事、何処も同じと思い以後雑談をしていると、同道の女性陣も店主に配慮し、孫の土産になるような菓子類を購入していた。 お陰で涼しい店内であっという間に一時間が過ぎ、各自顧客用トイレもチャッカリ使用させて貰い、医療機関に戻る事ができた。  

団体旅行でなく勝手気ままな個人旅行ならではの良き経験を楽しんだ。 医療機関に戻るとあの若き女性(Dr.?)が「皆さん全員の陰性証明です。」と笑顔で手渡ししてくれて「未だハワイにいたいのですか?」と聞かれたので「Yes!」と答えると茶目っ気タップリに「それじゃ陽性と書き直しましょうか?」と返答があったので「その場合は何日滞在が必要?」と答えると「Stay at hotel for more five days.」と返事されたので「No thank you.」笑顔で答えた。日本のDr.も斯様な茶目っ気があればと思った 

 

PCRの陰性証明書が入手でき、明日は予定通り帰国できると知り、お迎えのタクシーで最後のショッピングに再びコナ中心街に向かった。 くれぐれも前回の苦労が無いように午後8時に夕日が美しいとの評判のレストラン、Kona Inn Restaurantに迎えに来てくれるように予約し下車。 誰と言うわけでは無いが、全員再びKona Beer “Long Board”を楽しもうとKona Brewing Company Pulに向かっていた。 

 

ご婦人達はハワイ島での最後のショッピングを楽しみ、午後5時頃からはユックリ最後の夕食をKona Inn Restaurantで楽しんだ。未だHappy Hour飲み物は割安であったので再びLong Board”で先ず乾杯。 流石コナで一番美しい夕陽が楽しめるレストランで過ごした。 

 

5月12日は早朝空港に向かい無事予定通りにホノルル行Hawaiian Air便に搭乗し、ホノルルで成田行き便で帰国の途に就いた。 長いようで短い有意義なハワイ島の旅であった。 

“People don’t take trips, trips take people.”(人が旅をするのではなく、旅が人を連れて行くのだ。) 

John Steinbeckの旅に関する名言である。再び”旅が私を連れて行ってくれる“と信じている。 

  

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                         








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